Vol.15 事業拡大する起業家は自分と異なる他者を受け容れる

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
起業家が一人だけ で創業するのではなく、誰かパートナーとチカラをあわせて事業経営をしていくことがあります。これも「ヒトのチカラ」を活用するための有力な方法の一つで すが、主導権争いなどで失敗している例も数多く見られます。そこで、「共同経営」を「協働経営」に進化させて、成功した事例を探ってみましょう。

第2次世界大戦後に創業し、世界的な企業になった代表といえば、ホンダとソニー。どちらの会社も、「協 働」経営の代表的な成功例です。現在は大企業ですが、創業の頃は本当に小さな会社。この2社の創業者たちの物語には、多くの起業家にとって、味わい深いヒ ントが詰まっています。

専門領域の違いを組み合わせて成功したホンダ

 世界的な 自動車・二輪車メーカー「ホンダ(本田技研工業株式会社)」の歴史をたどると、創業者の本田宗一郎さんと、創業期から世界に飛躍する過程を共に歩んだ経営 者、藤澤武夫さんに出会います。

 創業期に、メカが大好きで根っからエンジニアの本田さんは、技術や開発は専門でしたが、経理や財務はまっ たくの素人、というよりも苦手でした。普通の起業家は、苦手なことがあっても、自社のすべての領域を担当したくなるもの。しかし、本田さんは「自分は経理 が苦手。このままだと、いくら優れた製品を製造しても、せっかく作った会社を潰すことになる」と考えたそうです。この辺が、凡人との違いですね。
  そこで、自分の苦手な分野を担当してくれるパートナーを社外に探していた時に、人づてに出会ったのが藤澤さんでした。早速、常務として迎え入れ、オートバ イなどの「製品作り」は本田さん自身が担当し、「会社作り」を藤澤さんに委ねたのです。そして、この二人は1973年に、「同時に」経営の第一線を引退す るまで、お互いに「ツー・トップ」の「パートナー」として、「世界のホンダ」の基盤を作りあげました。

 もともと専門分野の異なる二人が、 お互いの得意技を組み合わせ、それぞれのチカラを最大限に引き出しあって、「協働」して事業を大成功に導いたのだと思います。
 

価値観の違いが発展のエネルギーを生み出したソニー

 ソニーの創業者の井深大(まさる)さんと 盛田昭夫さん。井深さんは理工学部、盛田さんは理学部の出身で、創業以前は研究者仲間でした。二人とも理科系出身でしたが、ソニーの創業後は担当を分け、 井深さんがおもに技術開発を担当し、盛田さんは営業部門を担いました。井深さんが主導して開発されたユニークなソニー製品の数々を、盛田さんはトップセー ルスマンとなり、世界中に売り込み、ソニーのブランドを確立しました。

 もとは研究者どうしで、専門領域も近かった二人が、技術開発と営業 という分野に住み分けることができた背景には、二人の価値観の違いがあったと思えます。井深さんは、有名な「東京通信工業(ソニーの前身)設立趣意書」に 会社設立の目的の第一に「まじめな技術者の技能を最高度に発揮できる理想工場の建設」をあげています。
 いっぽう盛田さんは、創業期に「決して他 社の下請けメーカーにだけはなるまい。自社の製品を自社の名前で売って世界に名をあげたい」と考えていたそうです。世界という市場でソニーのブランドを確 立することを目指していたわけですね。
 この価値観の違いは、どちらが優れているというものではありません。井深さんはひたすら技術の開発を追及 することに喜びを感じ、盛田さんは技術が活かされた製品のマーケティングに注力することに情熱を燃やした。このような、二人の価値観の違いがあったからこ そ、それが掛け算になって「協働」し、ソニーという会社の発展のエネルギーを生み出したのでしょう。

 

自分と異なる他者を受け容れる姿勢

 「ホンダ」と「ソニー」、それぞれの「協働」経営者たち。ど ちらの例も、単に会社を共同で所有し、切り盛りをするのではなく、それぞれのヒトの「持ち味」を組み合わせ、補完関係を作り出して「協働」していくこと が、予想を超えた大きな「チカラ」を生み出してくれることを物語っています。その根底に流れているものは「自分と異なる他者を受け容れる」という、起業家 にぜひ持って欲しい「姿勢」なのです。

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